どーも花とーちゃんです。最近よく野球をやっている人で「イップスになってしまった」ということをよく聞きます。
それは一般の方だけではなくプロ野球選手でも悩まされていると耳にすることもあります。実は私もイップス歴23年のベテランで長年悩まされてきました。
「イップスとの戦い」というテーマで数回に分けて花とーちゃんがどうしてイップスになったのか、今現在はどうなっているのかをお伝えしたいと思います。
花とーちゃんの野球歴は?
花とーちゃんは幼稚園年長から野球を始め、小学校では1年生から試合に出場し6年生までには数えきれないほどのホームランを放ち、地元ではまあまあ有名な選手でした。
中学校でも当時年功序列が強烈に残っている部活動のチームで中学2年から試合に出場し、そこでもいかんなく力を発揮し力をつけました。
そして高校は当時の野球名門校に進学しました。
野球名門校に入学して
その高校は当時連続で甲子園に出場をしていて全国でも人気があり、県内だけではなく県外からも優秀な選手が入学してきて総部員数は120名ほどいました。
入学当時確かに周りはレベルの高い選手ばかりでビックリはしましたが、自分も負けていないと思い日々練習していました。
さすがに名門校ですから先輩たちの代では試合には出れませんでしたが自分たちの代でレギュラーポジション(サード)を勝ち取りました。
イップス発症?
新チームなり初めての公式戦の新人戦は順当に決勝まで勝ち上がりました。この決勝に勝つとセンバツにつながる秋の県大会の第一シードが取れるということでチームとしても非常に気合が入っていました。
試合は私たちの高校が有利に進めいよいよ一点リードで9回を迎えました。
2アウトまでこぎつけましたがランナーが2,3塁の大ピンチ、そして最後のバッターの打球がサードの私のところへ強烈なライナーで襲ってきました。
打球は目の前でワンバウンドし私は体を張って止め、打球を前に落としそれを素早く拾って一塁に送球しました。
その瞬間・・・
送球が一塁手へのワンバウンド送球になり「あーやっちまったー」っと思いましたが一塁手がうまく拾い上げとってくれ事なきを得て優勝を勝ち取りました。
しかしその送球以降自分の中で「何かおかしい」という気持ちが芽生えました。
今日はここまで、次回は!?
次回、心に不安を抱えたままいよいよセンバツにつながる秋の県大会を迎えどうだったのかをお届けしたいと思います。
あ~この記事を書いていたらあの時の苦しい思い出がよみがえって手に汗をかいてくるなぁ・・・