どーも花とーちゃんです。前回はセンバツ出場を逃したところまでお話ししましたが、今回は高校3年の春から夏までのイップスとの戦いをお話ししていきたいと思います。
チームは夏に向けて再出発、しかし・・
私たちの高校はセンバツを逃しましたが、すぐに夏の甲子園へ目標を切り替えて厳しい冬のトレーニングも乗り越えました。
そして3月、夏の大会のシード権をかけた春の大会を迎えました。
私のイップスの状態はというと、ボールを投げる力の入れ方がわからなくなっていて近い距離でも(例えばサードからショートまでの距離)どうしていいか分からなくなっていて本当にチームに迷惑ばかりかけていました。
夏の第一シードをかけて
春の大会が始まるとチームは順当に勝ち上がり決勝へと駒を進めました。
幸いにも?大会を通して私のところにはここまで2~3球しか打球は飛んでこず何とか処理はできていました。(ファーストには「もっとビシッと投げてくれ」とクレームは入っていました)
決勝戦開始前、秋の地区大会の肩痛のようにまたトラブルの発生が発生しました。
私が装着していたコンタクトレンズの汚れで目の中がゴロゴロし始めたためそれに意識が行き、そのおかげで送球への不安は二の次になり秋の地区大会同様すべての打球を完璧に処理することができました。チームメイトも「今日は球がめちゃくちゃ伸びていたぜ」と褒めてもらいました。
チームは春の県チャンピオンになり、夏の第一シードを勝ち取りました。しかし、私は決勝戦でなぜあんなにいい送球ができたのか自分でもわからず、送球への不安が無くなることはありませんでした。
徐々に出番は減っていき・・
あまりにも送球が安定しないため各県の代表が集まる春の地区大会から先発メンバーを外されました。
その間にも監督、コーチにも「なぜできないんだ」と厳しく指導されましたがもうどうにもなりませんでした。
地区大会は代打による出場一回に終わり(ボール球を振っての三振)チームも2回戦敗退しました。
いよいよ高校最後の夏が始まった
最後の甲子園へのチャンスということもあり私は当然ながら気合が入っていました。
しかし、私のイップスの状態は最悪でした。
監督が期待してくれて初戦から先発出場しましたが2球打球が飛んできて2球ともとんでもない高い送球になりました。
ファーストが何とか取ってくれてアウトにしてくれたから良かったものの後ろにそれていたら初戦敗退もあったかもしれません。(ファースト本当にすまん)
その後チームは順当に勝ち上がり決勝戦まで来ました。
私はちょくちょく試合に出してもらいましたが、少しの出場機会でなんと3つもエラーを犯しておりボロボロでした。
そして決勝戦が始まりました。
私はベンチスタートでしたが甲子園へ向けて一生懸命声を出し試合に出ているメンバーを応援しました。
しかし6回を終えて2対7と負けていてチームは劣勢に立たされていました。
そして監督から声が掛かり7回の守備から私は出場しました。
変わってすぐに打球が私のところに飛んできて内心「うわーいきなり来たよ!」と思いましたが何とかアウトにしました。
もちろん、ふわっとした送球で。
また8回の守備ではノーアウト2,3塁の大ピンチで相手4番の猛烈なライナーが三塁線に飛んできたのを私はダイビングキャッチをし1アウト、すぐに三塁ベースにタッチし2アウト、そして二塁ランナーが飛び出していたので二塁送球で3アウトでトリプルプレーを達成しました。
ちなみに二塁送球はまたしても高く抜けましたがセカンドがジャンプして取ってくれました。(セカンドありがとう)
しかし、決勝戦は3対7で敗退してイップスが治ることなく私の高校野球は終わりました。
あの時の自分に・・
あの当時はボールの投げ方が分からないとか恥ずかしくて監督、コーチ、チームメイト、親、兄弟、誰にも相談できず本当に辛くて自分自身情けなかったです。
あの時の自分に言いたいことは「そんな難しく考えるなよ、実力はあるから楽しめよ、周りも助けてくれるぜ」と本当に言いたいです。
最後に
ということで私が高校時代経験したイップスとの戦いをお届けしました。
実際、私の周りでもイップスになった人はたくさんいました。
それを見て感じることは考えすぎて後のことを考えすぎる人、物事を気にしすぎる人がなりやすいと思います。
今現在イップスに苦しんでいる方(特に中高生)に伝えたいのが「本当に楽しんで、エラーしても死にはしないし、エラーした自分を使った監督が悪いんじゃ」くらいの気持ちでやってほしいです。
昔と比べて理解してくれる人もたくさんいるし、克服法を知っている人もたくさんいます。
大丈夫です!
私もたくさんエラーしたけどやっぱり野球好きです!
野球最高!!