【思い出 平成 甲子園】平成を彩った甲子園のスターたち!! 平成21年~平成25年

どーも花とーちゃんです。

ではでは今回も引き続き平成の甲子園のスターたちを振り返ってみましょう。

平成21年から平成25年をお届けします。

目次

平成21年

春は長崎・清峰高校が初優勝、夏は愛知・中京大中京高校43年ぶり7回目の優勝を飾りました。

夏の甲子園で新潟県勢初となる決勝進出を日本文理高校が果たしました。

今村猛(長崎・清峰高校)

春甲子園出場

センバツ優勝ピッチャー。

高校生離れした体格から140km後半のストレートをコーナーにビシバシ投げ込んでいました。

落ち着いた雰囲気でピンチにも動じない投球は大物感が漂っていましたね

菊池雄星(岩手・花巻東高校)

春夏甲子園出場

左腕から繰り出されるストレートは150kmに迫り圧巻の投球で花巻東高校を選抜準優勝に導きました。

夏も甲子園に出場しましたが、背中の痛みに苦しみ本来の投球とは程遠かったもののチームメイトに助けられながらベスト8進出を果たしました。

トレードマークの派手なガッツポーズが高野連から注意されましたが非常に注目度が高かったですね。

堂林翔太(愛知・中京大中京高校)

春夏甲子園出場

夏の優勝ピッチャー。

超名門中京大中京高校を歴代最多7度目の頂点へと導きました。

投手としてよりか打者としての方が魅力があり、細身ながら逆方向へホームランをぶち込んでいるバッティングはなかなか真似できるものではありませんでしたね。

決勝戦では新潟・日本文理高校に逆転寸前まで迫られヒヤヒヤしましたが、何とか逃げ切っての優勝でした。

試合終了後、勝った堂林選手が号泣していたのが印象的でした。

伊藤直輝(新潟・日本文理高校)

春夏甲子園出場

新潟県勢初の決勝進出を果たし、決勝戦では中京大中京高校に17安打10失点を喫しましたが、最後までマウンドを1人まで守る姿には心を打たれました。

決勝戦試合終了後、優勝した中京大中京の選手たちが号泣しているのを笑顔で讃えているナイスガイでしたね。

今宮健太(大分・明豊高校)

春夏甲子園出場

小柄ながら投げては154km打っては高校通算62本のホームランを記録した怪物。

思いっきり投げて打ってと、とても楽しんで野球している姿はまさに”野球小僧”という言葉がぴったりで、相手も熱くなり多くの名勝負が見られました。

チーム編 大阪・PL学園高校

高校野球に一時代を築いたPL学園最後の甲子園出場の年となりました。

センバツでは軟投派の左腕・中野投手が1回戦西条高校戦で好投を見せ勝利を飾りましたが、2回戦南陽高校戦でも好投しましたが打線が沈黙し延長10回で力尽きました。

夏の甲子園にも出場しましたが、センバツでエースだった中野投手はケガでベンチ入りもできない状態でした。

エース不在の中1回戦で聖光学園高校を6対3で破り勝利を飾りましたが、2回戦で県岐阜商業高校に敗れたため、1回戦での勝利がPL学園甲子園最後の勝利となりました。

現在は度重なる不祥事により休部状態ですが、またいつの日かPL学園の校歌が甲子園で聞ける日が来ることを願ってやみません。

平成22年

沖縄県勢初の春夏連覇を興南高校が達成しました。

センバツでは興南高校と共に嘉手納高校も出場し、沖縄県勢初に2校同時衆生を果たしました。

この年は、まさに沖縄一色の甲子園となりました。

島袋洋奨(沖縄・興南高校)

春夏甲子園出場

前年からエースとして甲子園に出場していましたが、なかなか勝ち運に恵まれずにいました。

3年生となったこの年のセンバツでは初戦岡山・関西高校を相手に勝利を収めると、ここからは相手を寄せ付けないピッチングで決勝進出を果たしました。

決勝戦では豪打の東京・日大三高に序盤で3点取られますが粘りのピッチングで延長12回を投げ切り優勝を果たしました。

夏も再び甲子園に戻ってきて、準決勝の兵庫・報徳学園戦こそ序盤に打たれ苦戦しましたが、そのほかの試合は圧倒的なピッチングを披露し春夏連覇を達成しました。

我如古盛次(沖縄・興南高校)

春夏甲子園出場

春夏連覇を達成した興南高校のキャプテンとしてチームを引っ張りました。

センバツでは8打席連続安打を記録し、夏甲子園決勝でもプロ注目・東海大相模高校の一二三投手にとどめを刺すホームランを放つなど強烈なバッティングは記憶にも記録にも残りました。

夏の優勝インタビューで

「沖縄県民で勝ち取った優勝だと思っているので。本当にありがとうございました!」

感動して鳥肌が立ちましたね。

山﨑福也(東京・日大三高校)

春甲子園出場

センバツでは日大三高のエースとして準優勝へと導きました。

打っては大会最多安打タイ記録(13安打)を残し、豪打・日大三高にあってまさに投打ともにチームを引っ張りました。

中学3年生の時に脳腫瘍の手術を行い、余命7~8年という病に打ち勝っての甲子園準優勝は見事でしたね。

田村伊知郎(兵庫・報徳学園)

夏甲子園出場

1年生ながら3年生エースだった大西投手とのコンビで夏の甲子園ベスト4まで勝ち上がりました。

1年生とは思えないマウンドさばきと尋常じゃないノビをしていた140km後半のストレートは魅力的でした

準決勝の興南高校戦ではエースの大西投手が打ち込まれた後の登板でしたが、相手強力打線を2回無失点に抑えました。

まさに「スーパー1年生」でしたね。

中川諒(千葉・成田高校)

夏甲子園出場

右サイドスローから投げ込まれる140km台のストレートとスライダー、シンカーなどの変化球がコーナーにビシバシ決まる好投手でした。

20年ぶりに甲子園に出場した同校を見事ベスト4まで導きました。

チーム編 沖縄・嘉手納高校

センバツで優勝した興南高校と共に沖縄県勢初の2校同時出場を果たしました

米軍嘉手納基地がある街という事で非常に注目されていましたが、センバツの選考基準となる前年の九州大会では興南高校も成せなかった優勝を達成し文句なしの甲子園出場でしたね。

エース池原投手、捕手の眞謝選手など中学時代からの地元の有力選手が集まったことで躍進に繋がりました。

平成23年

春は神奈川・東海大相模が11年ぶり2回目の優勝、夏は西東京・日大三高が10年ぶりの優勝を飾りました

センバツ直前の3月11日に東日本大震災が発生し「がんばろう!!日本」を特別スローガンに掲げ開催されました。

佐藤大貢(神奈川・東海大相模高校)

春甲子園出場

センバツでは攻守に輝きを見せキャプテンとしてチームをよくまとめていました。

勝負強い打撃と常に元気ハツラツとしたプレースタイルはとても好感が持てましたね。

俳優の柳葉敏郎が叔父という事でもとても注目を集めました。

三好匠(福岡・九州国際大学付属高校)

春夏甲子園出場

センバツではMAX145kmのストレートを武器に決勝戦までの5試合を一人で投げ切り、チームを準優勝へと導きました。

打者としても3度の甲子園出場で通算打率が3割を超えており打者としてもセンス抜群でした。

吉永健太郎(西東京・日大三高)

春夏甲子園出場

夏の甲子園優勝ピッチャー。

センバツでも優勝候補として登場しましたが、準決勝で九州国際大付属高校に13安打9失点と打ち込まれ、まさかの大敗を喫しました。

夏の甲子園では高校ナンバー1右腕の実力で見事全国制覇を勝ち取りました

140km後半のストレートと、伝家の宝刀シンカーがキレキレでしたね。

川上竜平(青森・光星学院高校)

春夏甲子園出場

夏の甲子園では、打っては3本塁打、投げては145kmの剛速球と光星学院初の決勝進出の立役者となりました。

沖縄出身ながら遠く離れた青森への野球留学で準優勝を勝ち取る、見事でした!!

畔上翔(西東京・日大三高)

春夏甲子園出場

夏の甲子園で優勝を勝ち取ったタレントぞろいの日大三高をキャプテンとしてチームをまとめました。

ストイックに練習に取り組む姿勢で努力を重ねる姿は、まさにキャプテンにふさわしい人物でしたね。

チーム編 宮城・東北高校

3年ぶりのセンバツを目前にした3月11日に東日本大震災が発生し、東北高校も被災しました。

部員たちは地震発生以降、地域のボランティアなどで練習を行う状況ではありませんでした。

そんな中、センバツに出場するため甲子園へ出発する際にはたくさんの住民のエールを受けました。

特例処置で1回戦の最後に試合は組まれましたが、岐阜・大垣日大高校を相手に大差で敗れました。

しかし、厳しい状況下での出場に被災地の方々の光になったことは間違いありませんでした。

平成24年

大阪・大阪桐蔭高校が圧倒的な強さで春夏連覇を達成しました。

青森・光星学院高校は、前年夏からこの年の春夏と3季連続の準優勝を飾りこちらも偉業となりました。

藤浪晋太郎(大阪・大阪桐蔭高校)

春夏甲子園出場

大阪桐蔭高校の大エース!!

197cmの長身から150kmのストレートにフォークボール、カットボール、スライダー、カーブなども変化球も一級品で異次元の投球を披露していました。

夏の甲子園では防御率0.50、奪三振率12.25、被安打率3.50の驚異の成績で他を圧倒しての春夏連覇でした

森友哉(大阪・大阪桐蔭高校)

春夏甲子園出場

2年生ながら脅威の一番打者として大阪桐蔭高校春夏連覇を牽引しました。

翌年と春夏ともに甲子園出場を果たし、甲子園通算55打数26安打5本塁打を記録しました。

高校日本代表として2年時3年時ともに選出され、2年時にはアメリカの選手に2度もホームベース上でタックルを受けながらも必死にプレーをしたのが印象的でした。

北條史也(青森・光星学院高校)

春夏甲子園出場

4季連続で出場した甲子園で25安打、4本塁打、打率.379という成績を残し、光星学院3季連続準優勝の立役者となりました。

特に3年夏の甲子園では4本塁打を放ち当時の甲子園1大会本塁打記録5本(1985年夏、PL学園・清原和博)に迫る打撃はネット裏のスカウト陣をざわつかせました。

大谷翔平(岩手・花巻東高校)

春甲子園出場

センバツ1回戦では大阪桐蔭高校197cmの藤浪選手と193cmの大谷選手の対決は高校野球の域を超えて、今までにワクワク、ドキドキした対決になりました。

藤浪投手との初打席で甘く真ん中に入ってきたスライダーを、軽く振り抜いて右中間スタンドに放り込んだ打球は、藤浪選手も苦笑いするしかありませんでしたね。

ピッチング随所で素晴らしい球を投げていましたが、最強・大阪桐蔭打線につかまり2対9で敗れました。

夏は岩手県予選準決勝で最速160kmを記録し、決勝戦へ進みましたが、盛岡大付属4番二橋選手のホームラン沈み甲子園への道は絶たれました

当時このニュースを聞いたときは、160kmを投げても甲子園に出場できないという衝撃を受けましたね。

松井裕樹(神奈川・桐光学園高校)

夏甲子園出場

2年生エースとして夏の甲子園に出場し、1回戦の愛媛・今治西高校戦で大会記録を更新する22奪三振を奪いました。

2回戦、茨城・常総学院高校戦では19奪三振、3回戦の沖縄・浦添商業高校戦では12奪三振、準々決勝の青森・光星学院高校戦では負けはしましたが15奪三振を記録し、大会通算36イニング投げて68個の三振を奪いました。

奪三振率17.00!!

驚異的です!!

140km後半のストレートはスゴイのはもちろんの事、あれだけ腕を振って投げるスライダーはキャッチャーの前でバウンドするくらいの球でも、切れが良すぎて相手バッターのバットがくるくる回っていました。

最後の夏は1年生キャッチャー田中選手とのコンビが話題となりましたが、神奈川県予選準々決勝横浜高校戦で淺間大基選手、高濱佑仁選手からホームランを浴び敗退しました。

常に全力投球で野球する姿には清々しさがあり、観てて本当にワクワクする選手でした。

チーム編  青森・光星学院高校

前年夏から、この年の春夏と準優勝という偉業を達成しました

看板の打線では北條選手、田村選手、城間選手、天久選手が活躍し、投手では金沢投手、城間投手の二本柱が安定しており全国制覇も夢ではありませんでした。

しかし春夏ともに大阪桐蔭という大きな壁に跳ね返され東北の夢は持ち越しとなりました。

平成25年

春は埼玉・浦和学院高校が初優勝、夏は群馬・前橋育英高校が初優勝を飾りました。

NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の大ヒットに伴い、多数の甲子園出場高校の応援団がドラマのオープニング曲を応援歌に使用し、アルプススタンドも「あまちゃん」一色になりました。

小島和哉(埼玉・浦和学院高校)

春夏甲子園出場

センバツ優勝ピッチャー。

2年生ながら名門浦和学院のエースとしてマウンドを守り、悲願のセンバツ初優勝に大貢献しました。

夏の甲子園にも出場しましたが、1回戦仙台育英戦では自身の乱調により失点を重ね10対11という大乱戦で敗退しました。

180球以上を投げ9回には足のけいれんを起こしながらもエースとしての意地で投げたピッチングは感動を呼びました。

安楽智大(愛媛・済美高校)

春夏甲子園出場

センバツ準優勝、済美高校の2年生エース。

187cm、85kmの堂々とした体格から150km以上のストレートを連発し一躍スカウト陣注目の的になりました。

その右腕でチームを引っ張り決勝戦まで進出しますが、3連投で挑んだ決勝戦は浦和学院高校に打ち込まれ、6回で9失点を喫し試合は1対17のという大敗になりました。

最速152km速球は140kmがやっとで安楽投手の右腕は限界でした。

大会後には、高校2年生になったばかりの選手にここまで酷使させていいのかと議論が巻き起こりました

高橋光成(群馬・前橋育英高校)

夏甲子園出場

夏の甲子園優勝ピッチャー。

2年生ながら甲子園初出場の前橋育英高校を優勝へと導きました。

堂々とした体格から148kmのストレートと多彩な変化球を投げ込み初戦の山口・岩国商業戦では9連続奪三振を記録しました

その後も次々と強豪校相手に見事な投球を見せ甲子園の主役となりました。

打っても準々決勝の茨城・常総学院では敗北寸前の9回裏に起死回生の同点タイムリーを放ち”打”でも活躍しました。

横瀬貴広(宮崎・延岡学園高校)

夏甲子園出場

夏の甲子園で準優勝した延岡学園の背番号1を背負っていました。

球宴での出番が多かった横瀬投手ですが、準決勝の岩手・花巻東高校戦では相手打線に的を絞らせる暇もないくらいの投球テンポで投げ込み、三塁を踏ませない3安打完封をして決勝進出を果たしました

カット打法で有名になった花巻東・千葉選手も無安打に抑え花巻東高校は成す術がありませんでしたね。

千葉翔太(岩手・花巻東高校)

夏甲子園出場

156cmの身長の小さい体でどんな球にも食らい付き、相手投手を追い込んでいくバッティングは「カット打法」として注目を集めました。

準々決勝までは、この打法を駆使し驚異の打率7割を残していましたが、審判に高校野球特別規則では「カット打法」がバントと判断される可能性があると注意を受けました。

準決勝の延岡学園戦ではカット打法が封印を余儀なくされ、持ち味児を消された千葉選手は無安打に終わり、チームも敗退しました。

小さい選手でも活躍する方法があると体現してた姿には共感できましたし、試合後の号泣には同情するしかありませんでした。

チーム編 和歌山・箕島高校

昭和40年代から50年代にかけて名将・尾藤公監督のもと、春3回、夏1回の全国制覇を果たし数々の名勝負繰り広げた名門が29年ぶりに甲子園へ帰ってきました。

尾藤公監督のを父に持つ強さんが監督になり出場を果たしたところにドラマがありますね。

尾藤強監督も高校時代は本格派右腕として父・尾藤公監督とともに甲子園を目指しましたが、残念ながら出場は果たせませんでした。

しかし29年ぶりに母校を夏の甲子園に導き、オールドファンを楽しませてくれましたね。

まとめ

平成21年から25年までの甲子園のスターたちを振り返ってみました。

興南高校の沖縄県勢初の春夏連覇、藤浪選手・大谷選手の高校生というのを忘れるくらい勝負、松井裕樹選手の驚異の奪三振ショーなど記憶にも記録にも残る場面が多くあり、高校野球ファンを大いに楽しませてくれましたね。

そしていよいよ次回は、「平成を彩った甲子園のスターたち」シリーズの最終回、平成26年から平成31年までを一気にお届けします。

平成もいよいよ終わりますが、最後までどうぞお付き合いください!!





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