どーも花とーちゃんです。
今回は前回に引き続き平成を彩った甲子園のスターたちの思い出を振り返ってみましょう。
平成6年から平成10年までをお届けします。
平成6年
春は和歌山・智辯和歌山高校が優勝、夏は佐賀・佐賀商業高校が優勝しました。
今となっては強豪校として名高い智辯和歌山高校ですが、この大会での優勝が常勝高校としての伝説の始まりでした。
夏の決勝戦の佐賀商業高校対鹿児島・樟南高校の激闘も今なお語り継がれる名勝負となりました。
福岡真一郎(鹿児島・樟南高校)
夏甲子園出場
前年からエースとして甲子園で活躍し、この年を代表するスター選手でした。
上位進出が期待されたセンバツは前年の秋季九州大会で伏兵沖縄・那覇商業高校に阻まれました。
夏は甲子園出場を果たし実力通りの戦いで決勝進出を果たしますが、同じ九州勢の佐賀商業高校・西原選手に劇的な満塁ホームランを打たれ優勝を逃しました。
眼鏡がトレードマークだった捕手の田村選手とともにアイドル的な人気がありました。
宇高伸次(大阪・PL学園高校)
春甲子園出場
PL学園には珍しいアンダースローでしたが、投球フォームにダイナミックさがあり「本格派」なピッチャーの印象が残っています。
準決勝では勢いに乗っている智辯和歌山打線に打ち込まれましたが、名門PL学園のエースとして奮闘しました。
橋本将(愛媛・宇和島東高校)
春夏甲子園出場
宇和島東高校伝統「牛鬼打線」の4番バッター。
1回戦で注目のピッチャー宮城・東北高校嶋重宣投手から弾丸ライナーのフェンス直撃のツーベースヒットは衝撃でした。
峯謙介(佐賀・佐賀商業高校)
夏甲子園出場
夏の甲子園優勝ピッチャー。
全くのノーマークから一気に優勝へと駆け上がった2年生エース。
丁寧かつ粘り強い投球で佐賀商業の初優勝の原動力となりました。
平成7年
春は香川・観音寺中央高校が優勝、夏は東京・帝京高校が優勝しました。
この年の1月17日に「阪神大震災」が発生し、甲子園大会も開催が危ぶまれた中での開催でした。
福留孝介(大阪・PL学園高校)
春夏甲子園出場
センバツ1回戦の千葉・銚子商業戦でのセンターバックスクリーンにぶち込んだホームランは圧巻でした。
打撃だけではなく、守備や走塁にも華があり「これぞスター!!」というプレーをしていました。
澤井良輔(千葉・銚子商業高校)
春夏甲子園出場
古豪銚子商業に現れた怪物。
センバツ1回戦PL学園戦の一打席目、軽くバットを振った打球がライトスタンド中段まで届いたホームランには驚きました。
PL学園・福留選手とのホームラン合戦は見ものでしたね。
久保尚志(香川・観音寺中央高校)
春夏甲子園出場
センバツの優勝ピッチャー。
初出場のチームを投打に引っ張り見事、初出場初優勝を飾りました。
観音寺中央高校は夏の甲子園でも熱い戦いを見せ、選抜優勝がまぐれではなかったことを証明しました。
藤井秀悟(愛媛・今治西高校)
春甲子園出場
この年のナンバー1投手として注目されました。
決して大きくはない体を目いっぱい使った投球フォームで甲子園でも快投を披露しました。
しかし準々決勝の兵庫・神港学園戦の9回に左ひじ痛が発症し降板、チームは勝利するがこの試合以降、藤井投手が「IMABARI」と書いたユニフォームを着てマウンドに立つことはありませんでした。
山本省吾(石川・星稜高校)
夏甲子園出場
星稜高校悲願の初優勝の期待を背負い2年生ながらマウンドに立ち続けました。
決勝では東京・帝京高校に敗れましたが、左腕から繰り出されるストレートとカーブ、スライダーは切れ味抜群でとても2年生とは思えないマウンドさばきでした。
期待された翌年は甲子園出場はなりませんでしたが、実力が評価され高校日本代表に選出されました。
平成8年
春は鹿児島・鹿児島実業高校が優勝、夏は愛媛・松山商業高校が優勝しました。
夏の決勝ではのちに「奇跡のバックホーム」で伝説となる松山商業対熊本工業の試合が行われました。
下窪陽介(鹿児島・鹿児島実業高校)
春夏甲子園出場
センバツの優勝ピッチャー。
身長は小さいながらもがっちりとした体格から繰り出されるストレートとスライダーが武器で三振を取りまくりました。
特にスライダーは面白いように相手打者が振ってくれて、センバツの時点では手も足も出でない感じでしたね。
今井康剛(愛媛・松山商業高校)
春夏甲子園出場
170cm、88kgの体型で「伊予のドカベン」の愛称で親しまれました。
夏の準々決勝で選抜優勝ピッチャー鹿児島実業・下窪投手から放ったレフトへ流し打ったホームランは「え!!当てただけではいるの!?」と驚かせられました。
主将としてもチームを引っ張り見事深紅の大優勝旗を勝ち取りました。
高塚信幸(和歌山・智辯和歌山高校)
春夏甲子園出場
センバツで2年生ながらチームを準優勝へと導きました。
最速143kmのストレートがうなりを上げ、高めの球を決め球に使い相手打者から三振を奪いまくっていて凄かったです。
しかし連投によって肩を故障してしまい、このセンバツ以降輝きを取り戻すことはありませんでした。
白木隆之(東京・帝京高校)
春甲子園出場
前年夏の甲子園で2年生ながら名門帝京高校のエースとして優勝へと導きました。
この年のセンバツも優勝候補筆頭として1回戦の岡山城東高校戦に挑みましたが、5対6と痛恨の初戦敗退を喫しました。
松井光介(神奈川・横浜高校)
夏甲子園出場
同学年にプロ注目の投手であった丹波慎也投手がいたため当初は野手として試合に出場していました。
しかし、丹波選手が急性心不全で亡くなるというショッキングな出来事が起こってしまい、丹波選手の代わりに松井選手がエースとなりました。
丹波選手の遺志を継ぐかのように魂のこもったピッチングでチームを甲子園出場へと導きました。
平成9年
春は奈良・天理高校が優勝、夏は智辯和歌山高校が優勝しました。
センバツでは和歌山・日高中津分校が分校として初めて甲子園出場を果たしました。
長崎伸一(奈良・天理高校)
春甲子園出場
背番号3ながらエース小南投手との2本柱で天理高校を優勝へと導きました。
140km代のキレのあるストレートで決勝戦も完投勝利を収めています。
多井清人(大阪・上宮高校)
春甲子園出場
選抜優勝候補筆頭だった上宮高校の4番バッター。
身長は173cmでしたが、筋肉ががっちり付いた体型から豪快なスイングでホームランを量産していました。
センバツ1回戦の横浜商業戦でインコースの厳しい球を強引にライトスタンドへ持っていったホームランはインパクト大でした。
清水昭秀(和歌山・智辯和歌山高校)
夏甲子園出場
夏の甲子園優勝ピッチャー。
前年選抜準優勝時からショートのレギュラーとして試合に出場していました。
この年は投打に大活躍し智辯和歌山高校夏の甲子園初制覇の立役者になりました。
川口知哉(京都・平安高校)
春夏甲子園出場
夏の甲子園準優勝ピッチャー。
長身から繰り出される切れ味抜群のストレートと変化球で相手打線を寄せ付けませんでした。
強気な性格から「ビックマウス発言」が注目を浴びました。
上間豊(沖縄・浦添商業高校)
春夏甲子園出場
夏の準決勝で優勝した智辯和歌山を相手に再三のピンチをチームメイトと共にしのぎ、あと一歩まで追い込んだ投球は見事の一言でした。
夏の大会のベストゲームでした。
平成10年
この年は横浜高校の春夏連覇でした。
皆さんご存知の”松坂世代”の年です。
スーパースターが多く誕生し華やかな大会となりました。
松坂大輔(神奈川・横浜高校)
春夏甲子園出場
前年夏に神奈川予選で横浜商業を相手にサヨナラ暴投で敗戦を喫したことが怪物をさらに強くすることとなりました。
その敗戦以降、高校生活で横浜高校=松坂投手が負けることはありませんでした。
秋の神宮大会、センバツ、夏の甲子園、国体の4冠達成!!
寺本四郎(高知・明徳義塾高校)
春夏甲子園出場
前年から明徳義塾高校のエースとして甲子園に出場。
制球に難があったものの、気合十分の投球でチームを春夏の甲子園へと導きました。
夏準決勝は横浜高校を相手に6点差をつけながら逆転負けを喫しました。
上重聡(大阪・PL学園高校)
春夏甲子園出場
春夏連覇を達成した横浜高校最大のライバルPL学園のエース。
春夏ともに横浜高校をあと一歩まで追い詰めるが惜敗しました。
杉内俊哉(鹿児島・鹿児島実業)
夏甲子園出場
夏の甲子園初戦で青森・八戸工大一高校を相手にノーヒットノーランを達成!!
次戦で横浜高校に敗れましたが、大きく曲がるカーブで三振を奪う投球が光りました。
新垣渚(沖縄・沖縄水産高校)
春夏甲子園出場
沖縄県勢初優勝を期待された「南海の剛腕」
夏の甲子園で当時最速の151kmをマークし甲子園の観衆の度肝を抜きました。
チームとしては春夏とも優勝候補として挙げられていたが、両大会共に1回戦敗退を喫し、またしても沖縄の悲願は持ち越しとなりました。
まとめ
平成6年~平成10年までの甲子園のスター達を振り返ってみましたが、皆さんが思うスターは登場しましたか?
正直、スターが多く誕生していてまだまだ書き足りないですね(特に平成10年)。
さて次回は、平成11年~平成15年までの甲子園のスターたちを振り返ってみたいと思います。
あの選手やこの選手、今から楽しみですね!!
では今回はこの辺で(^^)/